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RUSSIA

日程 2017年8月15日〜8月20日(5泊6日・1車中泊)成田空港発着
旅行者 パパ・ママ 子どもたち
ホテル ハバロフスク インツーリストホテル2泊  シベリア鉄道 オケアン号1泊 ウラジオストク ベルサイユホテル2泊 
旅行代金 渡航費 一人 約120,000円   他エクスカーション費用等 一人約 100,000円
おすすめ シベリア鉄道

出発まで

 この夏は 、スイスの三大名峰へのハイキングを考えていたが、予算の関係で断念。代わりにと、日本から一番近いヨーロッパであるロシア ウラジオストック旅行を調べてみたところ、とても低価格のツアーがあることがわかった。そこで、子どもたちに声をかけてみたところ、皆いきたいということで、イタリア以来の家族全員での旅行となった。
 ロシアへの旅行には、ビザが必要ということなので、その取得やエクスカーションの手配などを含め一切合切を、今回はツアー会社のエイトバードさんにお願いして旅行の用意をした。
 前日に東京入り、、上野公園あたりで美術館や博物館を巡った。夕食は、美冴の大塚のマンションの近くでイタリアン。ビールを結構飲んだ後、赤ワインをボトル2本を飲んでしまったため、パパは脱落。他の人たちはさらに居酒屋で楽しい夜を過ごしたようだ。
 

1日目 8月15日

 朝9時ころ大塚を出発。10時半頃成田に着いたが、まだ窓口が開いていなかったので、刺身などをつまみにして、ビールを飲んで待つことにした。その間に、WIWIの機器をレンタルしたが、最後の1台だった。
 搭乗券を受け取った後、和食レストランで昼食。午後2時頃のS7航空でハバロフスクへ。
 午後6時半頃到着。専用車でインツーリストホテルへ。夕食はロシアで一番有名なロシアレストランという「ルースキー」へ。メニューが読めるか心配したが、ちゃんと日本語メニューがあって一安心。定番のボルシチや冷たいスープのアクローシカなどのロシア料理を楽しんだ。民族衣装のウェイトレスさんたちも、雰囲気を盛り上げてくれた。
 徒歩での帰り道、ウスペンスキー教会の教会広場などで写真を撮りながら帰った。   


ルースキーの前

ルースキー

ウスペンスキー教会

2日目 8月16日

 朝は、アムール川を望む展望台まで散歩へ。水は茶色に濁っていたが、その川幅の広さには圧倒された。
 戻って、マトリョーシカの絵付け体験。基本的な、絵付けの仕方をビデオなどで教わった後、一人ひとり無地のマトリョーシカに下書きをして絵付けを行った。
 昼食は、ウクライナ料理の「カバチョーク」へ。半屋外のレストランは居心地がよく、ビールが進んだ。
 その後、ホテルの近くの郷土博物館を見学し、一休み。
 夕食は、ディナモ公園近くのレストラン「バクー」へ。ゴージャスなアゼルバイジャン料理を楽しんだ。
 レルトランを出ると、ディナモ公園の池の噴水が、綺麗にライトアップさていていた。
 


展望台へ続く階段

アムール川

絵付け体験

ウスペンスキー教会
カバチョーク

郷土博物館

レーニン広場

噴水

バクー
ライトアップされた噴水

3日目 8月17日

朝食の後、中心地から東の方へ少し離れたところにあるスパソ・プレオブラジェンスキー大聖堂まで徒歩で行くことにした。なだらかな坂道を上った先に大聖堂はあった。大聖堂から、海の方へ向かって階段が続いていたが、その途中には戦没者の慰霊碑がある広場があった。
極東美術館で、絵画や民族衣装などの展示を見た後、昼食は「ペパロニ」というイタリアンレストランでピザを。午後は、アムール川クルーズへ。みんな若いからということで、インツーリストホテルから船の停まっている港までは徒歩で行くことにした。10分ほど歩いて到着。港から、シベリア鉄道の鉄橋のところまで往復1時間ほどの船旅は、心地よかった。
少し早めの夕飯をインツーリストホテル内のレストランでとることにした。牛タンなどの料理はおいしかったが、まさかの出来事が。シベリア鉄道へのガイドが来たので、クレジットカードで支払いを済ませようとしたら、現金しかダメだというのだ。そんな現金は持っていなかったので、困ったがホテル内のATMでクレジットカードからキャッシングすることができ、無事精算することができた。
少し時間がかかってしまったので、あわててハバロフスク駅行きの車に乗り込んだ。駅についてまたトラブル発生。駅の近くのスーパーマーケットで、車内で食べるカップヌードルなどを買い込もうと思っていたが、このときに来たガイドは、日本語がわからず、とにかく早く駅へ入れという感じで、買い出しが全くできなかったのだ。食堂車があるから何とかなるだろうと、あきらめて列車オケアン号に乗り込んだ。
列車の個室は2段ベッドが2つで定員4名。1人は別の部屋だったが、床にトランクを2つ置いて簡易ベッドを作り、一部屋に5人で寝ることにした。
そして、すぐさまパパとママはまだ誰も来ていない食堂車へ行って、ビールで乾杯。その間に、車掌が切符を見に来たようであった。そして、子どもたちも加わってビールを飲み始めた頃、列車は出発した。食堂車はだんだん混んできたので、席を空けて部屋に戻り、寝ることにした。
トランクの上のパパの寝心地は良いものではなく、時々目が覚めてしまったが、なんとか朝を迎えた。朝飯を買わずに乗り込んだので、どうしようかと思ったが、6時頃に箱に入った簡単な朝食が届けられた。中には、水とケーキのようなものなどが入っていたが、あまりおいしいものではなく、パパ以外の者はほとんど口にすることはなかった。やはりカップヌードルを買っておきたかった。


スパソ・プレオブラジェンスキー大聖堂

極東美術館

ペパロニ

アムール川クルーズ
シベリア鉄道の鉄橋

インツーリストホテルのレストラン

シベリア鉄道・オケアン号

食堂車

4日目 8月18日

朝8時頃ウラジオストク駅到着。待ってくれていたガイドの車で、ホテル「ベルサイユ」へ向かった。チェックイン前だったので、荷物を預けておそめの朝飯を食べにウラジオストク駅へ歩いて行くことにした。そして、駅近くの「リパブリック」というピラミッド型のレストランで朝食をとった。ここでは、美七海が、トイレの鍵の故障で外に出られなくなるというハプニングがあったが、何とか脱出できた。
そして、そのまま市内観光へ。まずは、ウラジオストク駅。駅構内には、マトリョーシカなどを売っているお土産屋がいくつかあったが、マトリョーシカ型の展示棚を持ったショップの、ハンドメイドのマトリョーシカが顔立ちや色彩がきれいだったので、そこで大小いくつか買い込んだ。
そのまま、港沿いの道を歩いて、アンドレイ教会など観光名所がひしめくウラジオストク港を散策した。
昼食は、パブのようなところで済ませたが、ある程度飲み食いして、もらった請求書がたったの860ルーブル余り。1,500円くらいか。どうやら、間違えたようであったが、それだけ支払ってそそくさと店を後にした。
ホテルへ戻って、一休みした後、行ってみたいと思っていたレストラン「ピョンヤン」へ向かった。タクシーは定員4人だったが、5人全員乗せてくれた。
レストラン内はガイドブックの通りだったが、思ったよりも狭かった。
対応してくれたウェイトレスさんは、噂通りの美人さんだったが、表情は終始硬いものだった。こちらが日本人だとわかるのだろうが、ちょっと上から目線のような「あなたたちこんなことも知らないの」といった態度がそこかしこに見えた。それが、面白く、子どもたちは、まねをしては大笑いしていたので、「もっと静かに」注意されてしまった。でも、自分はといえば、勤務中にもかかわらず、店内のテレビに流されていたアニメ「トムとジェリー」に夢中のようで、それに集中できないから注意してきたようであった。
ナマコなど普段食べない食材を使った料理もご馳走になったが、味はやはり韓国料理と同じでとてもおいしかった。パパは、「平壌冷麺」を注文したが、そこにはパパの苦手な辛い唐辛子の薬味がどっさりのっていた。それをほとんどどかして食べようとしたところ、ウェイトレスさんがやってきて、「そんなことはしてはいけません、薬味をもとにもどしなさい。」というような意味のことを言ってきた。半分戻すと、それでもダメだという。仕方なく全部もどすと、「それでよい。」と言った表情で、なれた手つきで冷麺をちょうど良く混ぜてくれた。「こうするとおいしい(フクースナ)ですよ。」と言うので、食してみたところ、確かにおいしかったので、「フクースナ」と声を上げたとき、一度きりの笑顔を見ることができた。
支払いは7800円くらいであったが、思わずクレジットカードで済ませてしまった。カード情報を北朝鮮に知られてしまったが後の祭りだ。
帰りのタクシーを呼んでもらった。帰りも一台しか来ないというようなことを、ウェイトレスさんが言っていたが、こちらがちょっと戸惑っていると思ったのか、店の外まで出てきて見送ってくれた。手こそ振ってくれなかったが、やさしいところのあるウェイトレスさんであった。


リパブリック

レーニン像
オケアン号
マトリョーシカ専門店
中央広場

潜水艦Cー56博物館

ニコライ二世凱旋門

クラースヌィ・ヴィムペル軍艦

レストラン「ピョンヤン」



5日目 8月19日

朝飯の前に、まず観光名所「鷲の巣展望台」へ行き、眼下の黄金橋などの景色を楽しんだ。朝飯を済ませて、この日は港とは反対側のエリアの散策を行った。
ウラジオストク要塞博物館には、大砲やミサイルなどが屋外に多数展示されていた。水族館は規模が小さい上に、改修中だったため、ちょっと残念といった感じだった。
昼食は、近くのレストラン「ズーマ」へ。
ここでは、写真のようなタラバガニなどの海鮮料理が自慢の店であった。我が家は、写真のような盛り合わせを注文したが、タラバガニを単品で注文すると、はじめ生きたカニが出てきて、それを茹で上げてテーブルに運ばれるというシステムのようであった。 
ホテルで一休みをして、夕飯はホテルの近くの地下にあるレストラン「ウザラ」へ。注文したとたん、ロシア民謡のショーが始まってしまい、なかなか料理が届かないというハプニングがあったが、なじみのロシア民謡に合わせて楽器を演奏させていただくなど、結構楽しめた。

鷲の巣展望台

黄金橋

ウラジオストク要塞博物館

水族館

ズーマ

ウザラ

ロシア民謡

6日目 8月20日〜

「黄金橋は歩いて渡ることができる」という趣旨のことがガイドブックにあったので、この日は早朝にそれを試みることにした。ここが、人が歩く歩道かなと思って言ってみると、ゲートがあり、そこの守衛さんは、「こっちへ来てはいけない」という。ほかに道はあるか、いろいろと見てみたが、ほかに道はなさそう。あきらめて戻ることにした。パパは途中の公衆トイレによったが、そこにはなんと紙がない。ポケットにはルーブル紙幣が数枚。運良く、リュックにウェットティッシュが数枚残っており、紙幣は使わずにすんだ。
日本人由来の建物を見たり、誰もいなくなった中央市場を散策したりしてホテルに戻った。
ホテルから空港まではガイド運転の車であったが、その道は工事による大渋滞となっていた。無事間に合うか心配であったが、渋滞を抜けるとスムーズに流れ、無事帰りの飛行機に搭乗することができた。
ウラジオストクから成田までは2時間ほど。夕飯は、新宿駅に近い、小田急百貨店13Fの和食レストラン「さがみ」でとることにした。そこで、各自好きなメニューをオーダーした。
電車の出発時刻までには、まだ少し時間があったので、さらに日本そば屋で時を過ごした。
しかし、帰りの電車の中で異変が。到着が近づいた頃、子どもたちの具合が悪くなってきたのだ。
翌朝になると、東京で別れた美冴をのぞいて全員が激しい下痢に襲われてしまった。美冴だけが食べなかったものは何か。どうやら、レストラン「さがみ」で回して食べたパパの料理についていたイクラと大根おろしの小鉢が原因のようであった。
それから、3日から一週間ほど、4人は食中毒による腹痛と下痢に苦しんだので、「終わり悪ければすべて悪し」みたいな印象になってしまった旅行であったが、しばらくして振り返ってみるととても楽しいロシア旅行であった。 


黄金橋

日本人が経営していた建物

帝政時代の建物

中央広場


旅行を終えて

◎やはり、数時間でヨーロッパに行けるということがとてもよい。
◎ロシアの人たちは、通行人に優しい。横断歩道にいると、必ず止まってくれる。
◎レストランのウェイトレスさんたちはみな、注文すると「フンフン」と言う。