日程 |
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2017年3月3日〜3月13日(9泊11日・1機中泊)羽田空港発・成田空港着 |
旅行者 |
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パパ・ママ |
ホテル |
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グランカナリア島1泊 カナリア諸島クルーズ ホライズン号(5泊・全食事付) グラナダ2泊 マドリード1泊 |
旅行代金 |
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渡航費 一人 約140,000円 クルーズ 一人約 100,000円 他エクスカーション費用等 一人約 100,000円 |
おすすめ |
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カナリア諸島火山見学 アルハンブラ宮殿 |
昨年の久しぶりのクルーズに味をしめてしまったため、今年も同じ時期を狙って、クルーズを検討した。ヨーロッパのリバークルーズなどいろいろと検討した結果、大自然と触れ合えるスペイン・カナリア諸島クルーズを選んだ。今回はベストワンクルーズ社を通して行き帰りの航空券とともに手配してもらった。
せっかく、マラガまで行くのなら、約200km離れたグラナダのアルハンブラ宮殿まで足を伸ばそうということになり、その間の鉄道や宮殿の入場券は各代理店でネット予約した。クルーズ以外のホテルは全てエクスペディアを通してネット予約しておいた。
朝6時、新馬場のスーパーホテルから羽田空港へ。まだチェックインが始まっていなかったので、和食レストランでビールを飲みながら朝食を先にとった。その後、チェックインカウンターへ。すでに多くの人たちが並んでおり、手続きを済ませていたようで、トイレに便利な通路側の席は取ることができなかった。
出国手続きを済ませ、搭乗までの時間、またまたビールを飲みながら2度目の朝食をとった。
ブリティッシュエアラインの飛行機は、全席テレビモニター付きで、映画も何本かあったが、日本語のものは2本程度しかなかった。ハリーポッターシリーズの最新作もあったが、日本語はなく、英語字幕版で見るしかなかった。今回は、トイレに自由に行くこともできず、12時間あまりのフライトはとても長く感じられた。途中、昼食が2回提供された。
午後1時半頃、イギリスのヒースロー空港へ到着。乗り継ぎまでの時間、5年ぶりにワガママレストランで日本食っぽいものを食べて過ごした。餃子はいまいちであった。
夕刻にイベリア航空でグランカナリア島へ出発。途中、この日6回目の食事をとった。到着は夜の9時を回っていた。あらかじめエクスペディアで予約しておいた乗り合いタクシーでホテルへ。すると、とっておいたホテルは港のほぼ中心で、その日はフェステュバルの前夜祭が近くの公園で行われており、野外ステージの周りは大勢の若者たちで賑わっていた。
我々も、11時頃までステージを見ながらビールを楽しんだ。
ちなみに、部屋番号は「1104」、ママの誕生日だった。
ホライズン号への乗船は、午後1時からだったため、それまでの時間、船の乗船場所を確認したり、近くの海の砂浜などを歩いたり、レストランで昼食をとったりすることにした。
あらかじめ、乗船場所の案内が来ていなかったので、勘でホテルを取ったのだが、大変ラッキーなことに乗船場所に最も近いホテルであった。
この日、曇っていたこともあるが、風も強かったため、砂浜はとても寒く感じられ、とても海に入る気にはなれなかった。それでも、泳いだり日光浴をしたりする西洋人が数人いて驚かされた。
海辺のレストランの外の席で昼食をとったが、やはり風が強く寒く感じられ、時々日が差すと、嬉しい気持ちになった。大瀧詠一の「カナリア諸島にて」のイメージとはちょっと違う印象を受けた。「風も動かない」なんて感じではなかった。
そして、乗船。部屋番号は「1018」。惜しいことに、パパの誕生日から4番違いであった。あとで、このクルーズの日本人はパパママの1組しかないことを知らされた。やった!!
夕食の後、11時に出航。
テネリフェ島に到着。朝食の後、最初のエクスカーション「スペイン最高峰テイデ山(3、718m)登山」へ。港は、厚い雲に包まれ、バスで向かう途中も小雨が降るなど心配したが、標高が高くなるにつれ、雲は少なくなって来た。
テイデ山には、巨大なカルデラがあり、その中には奇岩がかたまって見られるポイントがあった。
そこを見学してロープウェーで山頂近くまで。山頂付近は、富士山と同じくらいの標高とあって、まだ雪が残っていてとても寒かった。
そこからは、カルデラ内に流れ出た赤や黒の溶岩の様子がとてもよく観察することができた。
船に戻り、遅めの昼食。エクスカーションが充実していたこともあり、食事も酒もだいぶ進んでしまった。ウェイターさんから「そんなに飲んだらもう運転はできないよと」ジョークを飛ばされた。逆に言えば、スペインでは少しくらい飲んで運転しても、構わないということなのか?
その後、昼寝をしたが、気がついたらもう夕食に時間になっていた。慌ててレストランに飛び込んだが、昼の暴飲暴食がこたえて、食事も酒もほとんど喉を通らなかった。
この日の昼頃、ランサローテ島に到着。昼食の後、エクスカーション「ランサローテの火山見学」へ。
港から島の中心部へ向かうにつれ、溶岩が厚みを増してくる。火山館の近くに来ると、地球とは思えないような光景が広がって来た。浅間山の鬼押し出しのような岩が、見渡す限りに広がっているのだ。
火山館では、まず地表の熱さを、手に持った軽石の熱さから感じることができた。次に、大きな穴に入れた小枝の燃え上がる様子からその温度をはかり知ることができた。続いて、小さな穴に水を注ぎ込むと、小さな水蒸気爆発が起きて、噴水のように水を一気に吹き出す様子が見られた。
火山館を出てからは、周辺の溶岩の様子をバスの中からではあるが、つぶさに観察した。溶岩は、相当以前の噴火によるものだと思われるが、風化されておらず、当時の流れ出る様子が刻まれていた。
しばらくバスを走らせると、港の反対側と思われる海岸にたどり着いた。そこには、波の浸食によるものか、溶岩の流れ出し方によるものか、溶岩がブリッジのようにかたまっており、その間を波が行き来する様子が見られた。
港へ帰る途中、島の特産物であるぶどうの畑に立ち寄った。水はけの良い軽石にブドウが植えられているが、水不足にならないよう、ブドウの木一本一本が軽石を掘った、窪地に植えられており、全体を見渡すと何んとも言えない、見たこともない光景を形作っていた。
そこにはショッピングセンターもあり2種類のワインを味見することができた。
この日は、一日中洋上でのクルーズ。船の中でしかできないことをしようと、まずはカジノへ行った。ルールがわかりやすい、3列3行のスロットマシンで遊ぶことにした。
はじめにパパに当たりがきたが、それ以上パッとした当たりはなし。ところが、ママには比較的早い段階で大当たりが来た。50セントのコインが約80倍の約4000円の紙幣となって戻って来た。その後、着実に当たりを重ねたママはジャッカンのカチ抜けとなった。
次は、最上階の屋外プールへ。強風のためか、二つのプールは閉鎖されていたが、ジャグジーだけは解放されていて、何人かがお湯に浸かっていた。せっかく水着を持って来たのだからと、パパとママもいっときの間温泉気分を味わうことにした。
夕飯の後は、船長をはじめとする船の各セッションの責任者の紹介とパフォマンスショーの催しがあった。振舞われたシャンパンを飲みながら楽しめた。
この日は朝早く寄港したモロッコのカサブランカでのエクスカーション「ハッサン2世のモスク」に参加した。
まずは、中央市場へ。新鮮な野菜や魚介類や籐製のカゴなどの土産品がそれぞれの店で売られていた。余った魚を目当てに猫がたくさんいたことが印象的であった。
市場の中はそれほどでもないが、一歩外へ出るとゴミが道端に放置されており、不衛生な印象も受けた。
その後、有名な海岸へ。しかし霧のため海岸はよく見えず、次の目的地へと向かった。
その名前もわからないモスクはとても繊細な細工のモルタルの壁が見事であった。
そして、ハッサン2世のモスクへ。ここも、うすい霧に包まれ高い塔の上の方は霞んでよく見えなかった。
近年作られたモスクはとても豪華な作りになっていて、イタリアから取り寄せたという大きなシャンデリアが、至るところに吊るされていた。その割にトイレが、男女兼用で安物だったのが残念。
最後に、港近くのお土産屋さんで、真鍮の壁掛け・タジン鍋を買った。
時間があれば、映画カサブランカに出ていたレストランを摸して作ったというレストランなどで食事をと思ったが、出航が予定より2時間ほど早くなっており諦めざるを得なかった。
この日の夜のショーは、ABBAのトリビュート。夕食を早めに済ませて、大勢いる1回目のショーへ。若い男性ダンサーの、キレのあるダンスに魅せられて、2回目のショーへもいってしまった。パパママが最前列でノリノリでいると、周りの客たちも合わせてくれて、2回目のショーははるかに少ない人数だったが、盛り上がりは1回目以上だった。
パンフレットなどでは、下船に時刻は正午となっていたが、前日の案内には9時半からとあった。ジュニアスイートのパパママは優先的に下船ができたので、夕方のグラナダへの電車の発車まで、たっぷり時間が取れることになった。
そこで、マラガの市内観光へ。
まずは、最も有名なマラガ砦へ。城内の順路は、入り口から徐々に高いところへ続いていくが、途中、砦らしい見晴らし台や美しい庭園があり、結構楽しめた。戻ってきて出口は、入り口の隣。そこから歩いてわずかのところに、半円形のローマ劇場跡があった。
そして、20分ほど坂を登って、要塞まで足を伸ばした。途中、眼下に闘牛場や乗ってきたホライズン号などが見えて楽しめたが、結構な急坂で、息が切れそうだった。
要塞だけあって、周囲は高い塀で囲まれており、その塀の上に人がすれ違えるのがやっとといった通路ができている。高いだけあって、そこからの見晴らしは素晴らしいものだった。
「ビノミオ」という、ガイドブックに出ていたレストランを、携帯のナビを使って探し当て、昼食にしようとした。しかし、店の人に、ランチをお願いしたら、あまりいい顔をしなかった。ガイドブックにも、開店は12時半となっていたが、どうやら、スペインの昼食はかなり遅く取ることが普通のようで、パパママ以外の人たちは、まだ朝食のようなものを食べているようであった。
次に、ピカソ美術館へ。携帯のナビですんなり到着したが、そこはなんとも寂しいところで裏口のようであった。入り口は、別のところに違いないと、あちこち探し回ったが、結局最初の場所が入り口であった。
ガイドブックには、240点ほど収蔵されているという説明があったが、展示されているのは選りすぐった33点であった。しかし、ピカソの作品をこれだけまとめて鑑賞できたのは、ありがたかった。
最後に、カテドラルへ。財政難で、片方の塔が未完成ではあったが、とても立派な教会であった。
そして、いよいよグラナダへの鉄道での移動。あらかじめチケットは、レールヨーロッパという代理店を通して日本でもらっておいた。
最初の電車は、新幹線。23分で80kmほど離れた乗り継ぎの駅に着いた。乗り継ぎ時間は18分。乗り継ぎのホームを探そうと、電光掲示板を見たら、驚きの事実が。その電車のホームを示すところには何も書かれておらず、「BUS」の文字が。どうやら、電車はなんらかの理由で動かなくなり、バスの代替え輸送となったようだ。新幹線を降りた中で、そのバスに乗るのは、パパとママしかいない。また、予定の時刻を過ぎても、バスは全く出発する気配がない。これで無事グラナダまでたどり着けるのだろうか。急に不安になってきた。
しばらくすると、次の電車から降りてきた乗客でバスはほぼ満員となり、ようやく出発。出発して、ほどなく高速道路に入り、ほぼノンストップでグラナダへ向かった。
グラナダ市内は、一方通行が多いらしく、同じようなところをグルグル回りながら駅に到着。なんと、電車で予定していた時刻より若干早く着いたのだった。
タクシーで狭い路地を抜けてホテルへ。そこは、裸電球が灯るなど、昭和の匂いがする雰囲気のホテルであった。
そして、ガイドブックにあった「BAR」(バル)を探して、ビールと出されたつまみで夕食がわりにした。2軒はしごしたが、ちょっと物足りなかったので、ホテルの近くの和食レストラン「YAMATO」で刺身の盛り合わせを食べるなどした。
旅の第2の目的であるアルハンブラ宮殿へ。チケットとガイドは、日本で予約しておいたが、よく調べなかったので英語のガイドにしてしまった。説明は、半分もわからなかったが、特に困ることはなかった。
それにしても、宮殿は観光の目玉だけあるだけに、各国からとても多くの観光客が集まっており、ちょっと油断すると迷子になってしまうような感じであった。
3時間の宮殿見学を終え、宮殿から坂を下ったところにあるバル街へ。ここで、店の人に勧められたエビの塩炒めとマグロのステーキを頼んだが、ステーキはその巨大さに驚いた。でも、とても美味しく、食べきってしまった。
午後は、アルハンブラ宮殿全体を見渡せる、サン・ニコラス広場へ。とても多くの人で賑わっていたが、素っ裸の男性も来るという怪しい面もあった。
しばらく昼寝をして、バルで2軒ほどはしごした後、ホテルで予約しておいたフラメンコを見に出かけた。男女2名づつ4名の迫真のダンスに酔いしれたが、近くにうるさいおばちゃんがいたので、「うるさいよ」と注意したところ、なんとダンサーの奥さんであった。
車でサン・ニコラス広場へ移動し、アルハンブラ宮殿の夜景を楽しんだ後、帰路へ。
ここで、思わぬハプニングが。乗った場所で降ろしてくれるのだと思ったら、バスはどんどん遠ざかっていく。また、戻って来るのだろうと思ったら、高速道路みたいなところに乗ってしまった。これでは、ホテルから離れるばかりではないか。ママがドライバーに、事情を説明して下道に降りてもらい、そこからはタクシーで戻ることにした。もう一人同じ立場の日本人も一緒に降りた。相当走ったので、時間も金もかかるだろうと思ったら、意外と近く6ユーロ程度ですみラッキーだった。気を良くして、ホテル近くのバーでジントニックで乾杯したのだった。
グラナダからの飛行機の出発は夕刻なので、午前中は、周辺の観光、そしてホテル近くのヌエバ広場周辺でお土産を買ったり昼食をとることにした。
ホテルのスタッフから教えてもらったポイントを巡ってから、カテドラルと隣接する王室礼拝堂へ行った。王室礼拝堂の巨大な棺や数々の名画には圧倒された。
昼食は、ヌエバ広場内の屋外レストランで、ポテトサラダやミートボールなどを食べたが、どうも食が進まない。胃腸が疲れたようだ。そこで、和食レストラン「YAMATO」が開店する午後1時を待って入店することにした。やはり、日本食は格別で、揚げ出し豆腐・きつねうどんなどペロッと平らげることができた。
グラナダからは帰りの飛行機となるが、乗り継ぎのマドリードでは翌日の便になるので、マドリードにホテルを取っておいた。
タクシーでホテルへ直行し、すぐさま近くにあるレアルマドリードのホームスタジアム「サンチアゴ・ベルナベウ・スタジアム」へ。子ども達へのお土産を買うためだ。食事もその辺で済まそうとも思ったが、疲れたので気楽にホテルのレストランでとることにした。
乗り継ぎのために再びマドリード空港へ
ここでまたまたハプニングが2回あった。
その1
ホテルから空港まではタクシーを使ったが、目的のターミナルを伝えなかったため、タクシーは第1ターミナルに行ってしまった。第4ターミナルに行ってほしいと伝えると、遠いからもう20ユーロ必要だという。昨日は第4ターミナルからホテルまで定額の30ユーロだったので、大損をしてしまった。
その2
これが今回の旅行の最も大きなハプニング。
2回目の乗り換えのヘルシンキ空港で、ゲートは近いだろうと、搭乗時間ギリギリまでゆっくり昼食を取っていた。ところが、ゲートの前には、パスポートのテェックポイントがあり、ゲートも結構離れていた。呼び出しの放送は聞こえなかったが、ひょっとすると聞き逃していたのかもしれない。というのは、フィンエアー航空の日本語スタッフが呼びに来ていたからだ。
そこから走ってゲートに向かったが、到着したのは出発5分前でゲートはすでにしまっていた。日本語スッタフの方が、ゲートの関係者に事情を説明してくれると、「スーツケースは飛行機から降ろしてしまった。荷物は届かないがそれでもいいなら搭乗できる。」という返事だった。
もう一泊することはできないので、もちろん搭乗することにした。
成田空港へは、予定通り10時頃到着。ひょっとするとスーツケースが届いているかもしれないと、淡い期待を抱いて行ったが、ベルトコンベアーには「クワヤマ マサノリ様」と書かれた看板が虚しく回っていた。それを見つけると、女性スタッフがやって来て、スーツケースが届いていないこと、翌日のフィンエアーの便で送ってくれて、次の日に自宅に配達してくれることを謝りながら説明してくれた。パパママとしては、こちらのミスなので着払いで代金を払おうと考えていたが、その必要はないらしい。帰って身軽になって帰られてよかった!災い転じて福となった!
二日後の15日、二つのスーツケースは自宅に届けられ、今回の長い旅は終わった。
旅行を終えて
◎スペインのトイレはトイレットペーパーを流すことができない。使った紙は、近くに置いてあるゴミ箱かポリ袋に捨てるようになっている。これはマドリードのような都会の高級マンションでも同じ。
◎英語はローマやイタリアに比べると結構通じる。困ることはなかった。挨拶も一日中「オラ」だけで通る。
◎この時期のレートはおよそ 1ユーロ=120円